みんなに怒られ日記

怒られ 静と動 身近な日の日記

親友

インターネットが無かったら私には親友がいなかったかもしれないです。

 

 

 

 

その当時の小学生の頃、親友と遊ぶ時は、

親友の実家の裏にある小川でザリガニを釣り上げたり、二人で別々の漫画を読んで感想を言い合ったり、寝落ちしたりとなんでも楽しかったと思います。

 

二人とも、野球をしてつながったのにも関わらず野球のことなんてしない。笑笑

 

そんな遊びの一つで、親友の父があまり使わない、ブラウン管で白が黄ばんだ小さなモニターを二人で椅子を取り合いながら、Flashゲームの「マッチョでポン」をひたすら朝から晩まで爆笑する日々がありました。そのパソコン=マッチョでポンじゃないのかなと思うくらい、やり込みました。

YouTubeで数少ない、音楽を流しながらマッチョを育てる。今考えると気持ちが悪いです。

 

そんな日々も中学に上がると同じ中学ではないため、

その当時では連絡手段(固定電話か親が持つガラケー)が少ないから遊ぶ機会も徐々に減っていきました。特に入学後はお互いバタバタしていたので、一気に遊ばない日々が続きました。

 

 

 

日々を過ごしている内にうちの実家にもパソコンが来ました!

そして、親友と遊ぶときに伝えると、メールアドレスを教えてくれました。

そこからメールアドレスの作り方から教えてもらい、ちょこちょことメールをする日々でした。

そして、飽きたらそんなにメールを頻繁に見るわけでもないためどんどん疎遠になりました。

だって、わざわざメールを見るのにパソコン開こうなんて、外で遊びたい子供があまり思わないですよ。

 

 

でも、遊びたいなと思う時に

「RE:明日遊べる??」みたいにメールを送れば、明日なら空いてるとすぐに返事が返ってきてテンション上がった記憶は鮮明に残っています。

することはもちろん小学生の頃したことばかり、漫画読んで、PCゲームして教えてもらって笑って、1日なんてすぐだったなと思います。

 

 

 

そんな感じで1年に3回くらいお互いふとした時に連絡しては、遊んでと言うことを高校まで繰り返してました。高校の頃なんて携帯持ってたのに、わざわざメールを見て思い返して、遊ぼってなってました。連絡は携帯なメールや電話なんですけど、その時は携帯の制限が厳しかったので、使えない時はPCを使ってました。

 

この頃は、別に親友だともそんなに思っていないと思います。

 

 

あるときお互い20歳を超えていたときに、何故か飲みに行こうって連絡をして

すぐにオッケーをもらい、飲みにいった時に

「今までの誰にも言えなかったストレスや思い」を飲んでた勢いで話を伝えたことが大きかったんでしょうかね。半分覚えてないけれど、真剣に聞いてくれて

 

 

『力になれんでごめん』

 

て言われた記憶がその言葉の記憶だけが飲んだ時の記憶が残っています。嬉しかったなと、多感な時期であったからこそ、認めてもらえたことが良かったのかとか、言葉では表し切れないです。

そこからは、お互い小学生の頃を思い出しながらひたすら、休みの合う日は遊び尽くしました。

 

今でも暇があれば、何かと遊んでる親友です。

 

 

でも、小学生中学生高校生と一度も学生生活を共に過ごしたことは親友とはありません。ただ、だからこそインターネットがあって少しでも繋がっていれたことはとても大きいです。そして、それ以上のつながりが無かったことにも感謝です。学生時代に一緒に過ごしていれば、もしかしたら親友になっていないかもしれません。インターネットがなければ、疎遠になり親友がいなかったかもしません。

 

今となっては、

本当に見えない限りなく細く、そして強く切れなかった糸があったと感じます。

 

感謝しています。

 

 

 

 

 

※途中で書いてて思った事が一つ、相手親友ですよ。

 恋人と間違わないでくだいね。

 

 

 

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」